日本聖公会東京教区 聖アンデレ主教座聖堂

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受胎告知

受胎告知と六人の柱上行者

受胎告知のイコンは、大天使ガブリエルがおとめマリアのもとを訪れ、「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい」と告げる場面を表しています(ルカによる福音書1章)。マリアは、「お言葉どおり、この身になりますように」と答えています。

受胎告知はよく知られている図像なので、ここではあえて、少し変わった受胎告知のイコンを二つ、見てみたいと思います。

ひとつ目のイコンは、受胎告知と六人の柱上行者を組み合わせて描いています。柱上行者とは、高さ十数メートルにおよぶ柱の上に登り、天上の神に近づくことを願ってそこに留り、修行を続けた聖人のことです。シメオン、そして彼につき従った小シメオン、ダニエルなど、複数の柱上行者が存在していたことが知られています。このイコンは、受胎告知の図像と柱上行者を組み合わせることによって、いったい何をわたしたちに語りかけているのでしょうか。

よく見ると、柱の色や柱頭、柱礎のデザインが、それぞれ違っていることがわかります。聖堂を建設する時、もともとそこにあった古代建築の部材を再利用することがありました。巨大な大理石の柱などは、入手の難しい貴重な部材だったので、異教の神殿からキリスト教の聖堂建築に転用されたのです。そのため、一つの聖堂の中に太さやデザインの異なる柱が並ぶようなことも、珍しくありませんでした。

イコンの六本の柱を見ていると、各地から運ばれてきた種類の異なる大理石が、ずらりと並べられているようにも思われます。大理石は、産地によって色や硬さ、模様が異なっているので、六人の柱上行者たちが、それぞれ異なる地に生まれ、異なる人生を歩み、やがて同じように柱の上に住まうようになったことが表されているのかもしれないと思います。

そんなふうに考えてみると、ここに描かれた六人の柱上行者は、ある一つの大きな聖堂を支える柱であるようにも見えてきます。そしてここに、上の受胎告知と下の柱上行者をつなぐ鍵があるように思われるのです。

4世紀のミラノの司教アンブロシウスが語っているように、聖母は聖堂の類型(タイプ)(共通の特質を有するもの)ととらえられます。両者の間には、信仰と慈愛、そしてキリストとの一致という共通項があるために、聖母と教会は互いに等価のものとみなされる、ということです。

そうであるとすれば、イコン上段の受胎告知はマリアの胎内にイエスが宿るできごとを表していると同時に、聖堂(=マリア)にキリストがいますことを暗示するもの、と読み替えることができるかもしれません。そして、その聖堂の柱となっているのが、イコン下段の柱上行者たちということです。

このイコンが置かれた聖堂の中にいる人は、今自分が立っている空間は、柱上行者たちによって支えられた場所であり、聖母の胎内に見立てられるところ(すなわちキリストの宿るところ)であるというメッセージを、このイコンから感じとったかもしれないと思います。

ウスチュグの受胎告知

二つ目のイコンです。うつむき加減のマリアが、糸巻を手に立っています。ヤコブ原福音書によると、大天使ガブリエルがやってきた時、マリアは神殿の垂れ幕を織っていました。それで、糸巻を手にしているのです。

マリアの胸のあたりに、うっすらと裸の赤子の姿が重ねて描かれています。これは、幼子イエスがマリアの腕に抱かれているのではなく、イエスがマリアの胎内に宿ったことを表すものです。イエスの姿は、本当は目には見えないはずなので、マリアのヒマティオンに埋もれてしまうような同系色で描かれています。

ひとつ目のイコンと比較してみると、このイコンの特徴が見えてきます。ひとつ目のイコンの大天使ガブリエルは、大きく足を広げて、マリアの方へと踏みこんでいます。翼も、上に向かって開いています。今まさに、天から舞い降りてきたところが表されているのです。一方、ふたつ目のイコンの大天使ガブリエルは、同じ場面を描いているにもかかわらず、すっとした立ち姿で描かれ、足も翼も閉じています。大きな動作によって伝えられる臨場感よりも、静けさの方に重きが置かれているようです。

それでは、静かに立つ大天使ガブリエルは、いったい何を伝えようとしているのでしょうか。足と翼を閉じているので、唯一動きのある、ガブリエルの手のしぐさに自ずと目が行きます。

ガブリエルの手を見ていると、聖母の手が、同じような形を繰り返していることに気づかされます。そして、聖母のてのひらは、イエスの方に向けられています。マリアには、イエスの姿は見えていないはずですが、しかし自らの胎内に宿った命を、マリアは感じとっているのだと思います。マリアは、突然現れたガブリエルの勢いに押され、恐れおののいているというよりは、静けさの中で、経験したことのない身体の異変を、じっと感じとろうとしているように見えるのです。

ところで、二人の頭上に描かれている半円の中には、赤い玉座に座る神の姿が描かれています。神の姿がここに描かれたのは、マリアの胎内に降った聖霊が、神から発せられたことを表すためです。

それと同時に、二人の頭上の半円は、直立のガブリエルと聖母の間にある静けさの中にこそ神はいます、と告げているように見えます。

ガブリエルは聖母に向かって手を差し伸べ、聖母はガブリエルのかざした手から何かが伝わってくることを察知し、また自らの内側に何か新たなものが宿るのを、今まさに感じています。外側がうるさい時、あるいは内側がざわざわと波立っている時、何かを感じとることはとても難しい。神の働き(エネルゲイア)を感じとるためには何よりも、内なる静けさが必要であることを、このイコンは語っているように思うのです。

(瀧口 美香)

使用画像:
“Annunciation and six Stylite Saints,”, The Sinai Icon Collection, Department of Art & Archaeology, Princeton University, accessed April 19, 2020, http://vrc.princeton.edu/sinai/items/show/6392. Published through the Courtesy of the Michigan-Princeton-Alexandria Expeditions to the Monastery of St. Catherine on Mount Sinai.
Public Domain (Wikimediaより引用:“File:Annunciation ystuj.jpg”)
▼筆者:瀧口 美香(たきぐち・みか)
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