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ラザロの復活

ラザロの復活

イエスがベタニアを訪れた時、ラザロはすでに死んで葬られ、4日もたっていました。しかし、イエスが墓の前に立ち、「ラザロ、出てきなさい」と言うと、死んだはずのラザロが、布に巻かれて出てきました(ヨハネ11章)。

岩の割れ目から、包帯でぐるぐる巻きにされたラザロが、ひざを少し曲げて、よろよろと立ち上がっているのが見えます。洞窟の中が黒で塗りつぶされているために、ラザロの光背が、ひときわ輝いて見えます。

イエスの足元に、ラザロの姉妹マルタとマリアがひれ伏しています。お棺のふたを肩にかつぐ人、臭いに思わず鼻を覆う人、ラザロの包帯の端を握る人、被り物で頭を覆うファリサイ派の人々。

ラザロの復活は、イエスの復活の予兆ととらえられます。それゆえ、冥府降下を想起させる要素が、このイコンにも見られます。たとえば、崖のような岩、冥府を思わせる暗闇です。もう一つあると思うのですが、それは何でしょうか。

ところで、一つ奇妙なことがあります。長方形のお棺のふたは、岩の割れ目をふさいでいたにしては、割れ目の形にぴったりはまりません。福音書によれば、ラザロの墓の洞穴は、石でふさがれていました。ところが、墓をふさいでいたと思われる石は見当たりません。

それでは、なぜ石を描くかわりに、お棺のふたをこんなに目立つように描いたのでしょうか。お棺のふたは、冥府降下でイエスが打ち破った冥府の扉と形が似ているので、ラザロの復活と冥府降下とのつながりを示そうとして、あえてここに描かれたのかもしれないと思います。

このイコンに描かれた巨大な岩もまた、冥府降下との共通点を作り出そうとするものだと思いますが、それにしても奇妙な形です。この岩には、何か特別の意味があるのでしょうか。

崖のように切り立った大きな岩は、背後に見える建物と、手前の空間を仕切りのように隔てています。つまり、ラザロの墓所が、人々の暮らす町からは隔絶されたところであることがわかります。

そして、崖のような岩は、人々の住む町を飲み込む大波、あるいは炎のように、高く高く立ち上がっています。旧約聖書に出てくるような、大水に飲み込まれた町、あるいは火で焼かれて滅ぼされた町を思わせる描き方なので、人々の犯した罪のために町が丸ごと飲まれていくような感じがします。

それから、岩の色も奇妙です。赤い岩肌は、夕日に照らし出されているのでしょうか。あるいは、オリーブ山のふもとのベタニアは、赤土の土地だったのでしょうか。

ヘブライ語で赤土(red clay)のことを、oudemと言います。oudemは、「アダム」という名前の語源となった語です。

赤土=アダムであるとすれば、巨大な赤い岩は、アダムが負っていた、重くのしかかる巨大な罪を体現するものかもしれない、という気がします。つまり、死んで赤い岩の中に葬られていたラザロが、赤土(=アダムとその罪)の中に閉じ込められていた、人間を象徴的に表すものであるように見えてくるのです。

体中を包帯に巻かれたラザロは、身動きが取れない状態で暗闇の中に閉ざされていました。今やラザロはよみがえって、そこから解放されたのです!町と人をもろともに飲みこむかのような罪(=赤い岩)と、その罪から解放されて、生に立ち返ったラザロ。それが、暗がりに輝く、ラザロの光背によって示されているのだと思います。

(瀧口 美香)

使用画像:
Public Domain (Wikimediaより引用:“File:Lazarus, Russian icon.jpg”)
▼筆者:瀧口 美香(たきぐち・みか)
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