日本聖公会東京教区 聖アンデレ主教座聖堂

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預言者エリヤ

預言者エリヤの昇天(ノヴゴロド)

預言者エリヤは、紀元前9世紀頃、トランスヨルダンのギレアドに生まれました。バアルの預言者たちと競い合い、祭壇を築いてそれぞれの神に祈った時、バアルからは何の返答もなかったのに対して、エリヤの神ヤハウェは、天から火を降らせてエリヤに答えられました(列王記上18)。エリヤはバアルの預言者たちを殺害したのち、砂漠に逃れて40日間歩き続け、神の山ホレブにたどりついたのです。エリヤはそこで、神の声を聞きました。

イコンは、ノヴゴロドで描かれたもので、エリヤの昇天を表しています。彼は、火の馬と火の戦車に乗って、天へと昇っていきました(列王記下2:11)。エリヤの外套のすそを引っ張っているのは、弟子のエリシャです。彼の足元には、くしゃくしゃに丸められた布がありますが、これは落ちてきたエリヤの衣かもしれないし、エリシャが師の衣を引き継いで身にまとうために、自分がこれまで来ていた衣を脱ぎ捨てたことを表しているのかもしれません。

エリシャは、生前のエリヤに、その霊を分けてくださいと頼みました。エリヤの外套は、エリヤ自身の霊を表し、それが地上に落とされるということは、エリシャが師の霊によって包まれることを示唆しているのだと思います。

エリヤが生前その衣で水を打つと、ヨルダン川の水が左右に分かれたといいます。エリシャの足元を見ると、川の流れを表す帯状の水と、その水を飲みこむかのような円形の暗がりが描かれています。エリシャが師エリヤの昇天を見送り、これから一人で歩いていく道筋が、すでに目の前に敷かれているかのようです。

エリヤ亡き後、エリシャは、住むにはよいが水が悪いという、エリコの町の人々に乞われて、水の湧き出るところへ行き、その水を清めました(列王記下2:21)。その水からは、死も不毛も起きることがありませんでした。エリヤの生涯は、火との縁が多く、一方エリシャの生涯はこのように水と縁があったので、イコンはその二つを対比的に示しています。

エリヤの生涯はまた、キリストの予型ととらえられるようなできごとで彩られています。たとえば、砂漠に逃れたエリヤに天使がパンを運んだというできごとは、ユーカリストの原型と考えられています。さらに、エリヤ昇天は、キリストの昇天を予型するものととらえられます。

地上に立つエリシャが、天使にともなわれて昇天していくエリヤを見上げるこのイコンの中で特に目をひくのは、何といっても赤い炎の描写です。炎はしずくの形をしており、イコンの右上から差し出された神の右手とともに描かれているので、まるで神のてのひらからしたたり落ちるしずくのように見えます。

バアルの預言者と競い合った時、神がエリヤに答えて降らせた炎が、再びここに現れたようにも見えます。神は「焼き尽くす火」(申命記4:24)であり、火の中から人々に向かって語りかけられました(同4:12)。エリヤは今、焼き尽くす火(すなわち神)に包まれながら、その身体は焼けこげることがありません。この世の肉体であれば、とっくに黒焦げになっているはずです。つまり、エリヤの身体は、もはやこの世の物質的な肉体ではないので焼けることもない、ということです。エリヤは、今や神の降らせた炎と一つになって、天へと向かっていくのです。

(瀧口 美香)

使用画像:
Public Domain (Wikimediaより引用:“File:N.Novgorod Elijah icon.jpg”
▼筆者:瀧口 美香(たきぐち・みか)
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