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天国への梯子はしご

天国への梯子

ヨアンニス・クリマコスは、エジプトのシナイ山にある、聖エカテリニ修道院の院長だった人です。7世紀ごろ、彼はシナイ山で修道生活を送りながら、『天国への梯子』という著作をあらわしました。クリマコスとは、ギリシア語で「梯子」という意味です。このイコンは、クリマコスの教えに基づいて、12世紀に描かれたものです。彼は、梯子の一段一段を、キリストが地上で生きた年数にたとえました。

イコンを見ると、梯子は、全部で三十段あります。梯子を登っていく修道士たちの中には、上の方までたどり着く人もいれば、途中で引きずり降ろされて、真っ逆さまに落ちていく人もいます。落ちていく人たちを飲み込むかのように、人の顔をかたどった黒々とした地獄が、大きく口を開いています。

このイコンは、天上の神の国は、途方もなく遠いはるかかなた、手の届かないところではなくて、一段ずつ梯子を上っていけば、必ずたどり着くところであると語っています。地上と天上は、梯子によってつながっているので、空を飛ぶことができなくても、歩いて天までたどり着くことができるのです!

ところで、梯子といえば、旧約聖書のヤコブの梯子が思い出されます。ヤコブは、天へと続く梯子を、神の御使いたちが上ったり下りたりしているのを見て、その土地をベテル、すなわち神の家、と名付けました。また、モーセは、ヤコブが見たこの天への梯子をのぼったと伝えられています。

シナイ山といえば、モーセが神から十戒を授けられた場所です。ですから、シナイ山の修道院長だったクリマコスは、モーセゆかりの地で、モーセがのぼったと伝えられる梯子を思い浮かべながら、自らもまた、同じ梯子をのぼっていこうと考えたのだと思います。

わたしたちは今、モーセやクリマコスのいたシナイ山から遠く隔たったところにいますが、同じように、わたしたちの目の前にも、梯子がかけられていると想像してください。梯子を一段上がるごとに、少しずつ天に近づいていきます。そして、天に近い景色が見えてくるはずです。今、見ている周りの世界が、地面にぱっくりと口を開いた地獄のような、どす黒い景色であるとすれば、梯子の下の方にある、地獄へとひきずり降ろされそうになっているということかもしれません。逆に、今見えている世界が、天に近い景色のように見えるなら、それは、確実に、かなり上の方まではしごを登ってきたという証です。こんなふうに、わたしたちは梯子を一段ずつのぼりながら、日々生きているのだと思います。天の扉が開かれて、そこから差し伸べられたキリストの手が、すぐ目の前に見えてくるその時まで。

(瀧口 美香)

使用画像:Public Domain (Wikimediaより引用 : “File:The Ladder of Divine Ascent Monastery of St Catherine Sinai 12th century.jpg”)
▼筆者:瀧口 美香(たきぐち・みか)
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